第二章

絡まっていく糸 19

 「……何しに来たの? 」  
 ベッドの上の七世は相変わらず不遜な態度は崩さなかったものの、普段の彼女とは違って少し弱々しい雰囲気が漂っていた。
 「別に」
 「嘘……どうせ、リョウのことだからある程度のとこまで掴んでんでしょ」
 「はん、買いかぶり過ぎだろ。掴んでねーから、お前のとこにわざわざ来てるんだろ」
 「……そう。ああ、そうそう、例のお節介な友達に『もう、プリンセスは見に行かない方がいい』って伝えてくれる? 」
 「何、何かマズイことでもあったのか? 」  
 涼のその質問に七世は答えなかった。ただ、その態度が質問の答えが肯定だと告げていた。
 「あたしが『プリンセス』抜けることになったのよ。だから、ファンに申し訳ないって」
 「『抜ける』ね、言葉は正しく使えよ。『抜けさせられた』の間違いだろ」
 「…………」
 「その理由は? 俺とのことが関係してるわけ? 」
 「……悪い、ちょっとクローゼットから、ジャケット取って」
 「ったく……ほらよ」  
 病室に備え付けのクローゼットから、涼は七世が普段着ていた黒のジャケットを取り、手渡した。きっと刺された時に着ていたのだろう、微かにぷぅんと血の生臭い匂いがした。
 「……リョウ、オモチャ持ってない? 」
 「……あるけど? 」  
 涼はごそごそとジャケットのポケットから、普段持ち歩いている、キーホルダータイプの十徳ナイフを取り出した。
 「……十分よ。貸して」  
 七世はそれを受け取ると、不意にジャケットの裏地をそれで切り裂き始めた。
 「お、おい、七世っ」  
 ジャケットの裏地を切り裂き、その中に手を入れ、七世は小さな小袋を取り出した。小袋にはラムネ菓子に似た、小さなピンクの錠剤が数粒入っていた。不意に七世は手元にあったスケッチブックにすらすらとこう書いた。  
 ――通称『パラダイス』。これが『ノワール』が街で売り出そうとしてるもの。飲むと、ものすごーく気持ち良くて集中できるらしいわよ……まぁ、飲んだことはないから、飲んだ人間の経験談の受け売り―ー  
 ――合法ドラッグの一種か――  
 涼がスケッチブックにそう書くと、七世はこくりと頷いた。  
 ――そう……んで、今度から、ギャラリーにもそれなりの値段で売るんだってさ。キックバックもいいらしいわよ。売人集団だよね、完全な……理亜先輩や『プリンセス』のOGが聞いたら、卒倒するよね――  
 ――卒倒で済む? ――  
 涼の問いかけに七世は首を横に振った。。
 「最近は妙な人間が増えたわよね。見ず知らずの、善良な若くて綺麗な娘を刺すなんてさ」
 「……『善良な若くて綺麗』は余計だろ」
 「酷い言い方……七世、泣いちゃう」  
 不意に七世がそう言ったので、涼は話をあわせた。だが、そんなやり取りをしながらも、筆談は続いた。  
 ――警察には? ――  
 ――うちのオヤの関係もあるから、通り魔ってことになったわ――  
 ――オヤ? ――  
 不意に七世はベッドに掛けられた自分の名札をすっと指差した。
 ――ヒラシマ ナナセ様――  
 看護師が書いたのだろう、その下手なカタカナ文字の『ヒラシマ』に思い当たる節があり、涼は七世をじっと見つめた。  
 ――あたしの父は、『平嶋 六郎』。信民党の幹事長の狸親父。驚かないの? ――  
 ――信民党っちゃ、この前、政権取られた党じゃねーか。ああ、お前が動くと親父さんがヤバイんだな――  
 ――ん、だから、もう動けないの。今後はあの狸の手下たちに24時間見張られると思うし、この会話も盗聴器か何かで聞かれてるだろうから、筆談にしたの。さぁ、これで話はオシマイ。そろそろ会話に切り替えましょ。沈黙が続くと妙に思われるわ――  
 七世はそう書くと、スケッチブックをべりべりと破いた。そして、ジャケットに入れていたライターで火を点け、金属製のゴミ箱の中にそれを放り込んだ。その炎を見詰めながら、涼がぼそりとこう切り出した。
 「……なぁ、ナナセ」
 「ん? 」
 「俺……お前のこと、スキだったよ。きっと、友達としてだったら、どの女よりスキだった」
 「……そう」
 「ごめん」
 「別に……ってか、あたしだって、リョウはヤツハ以上になれそうかなって思っただけ」  
 そう笑った七世の声が微かに震えていた。

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